ペンよさらば

手書きがコンプレックス

新企画1回目/戦争について思ったこと

はい、どうもこんにちは。
自由科目の存在を知りました。後のことは考えず、興味の赴くままに履修を組みたいと思います。田中です。ガハハ



突然ですが今回から企画を始めたいと思いましてね。まぁ企画と言っても2本限りなんですが。

まずテーマを決めて、それについて今の(19歳の)自分がどう考えてるかを捻り出して書くという感じです。

目的は…まぁサクッと言っちゃえば自分用です。
そろそろ大学も始まるんで、今の知識の状態で書いておいて卒業する時に成長した目で読み返そうかなと。
その時に「自分…こんなこと書いてたんだ///」と赤面するなら良し!成長したってことですから。

一応、少しは読者の役にも立ちたいので、ありきたりな話だけでは終えないつもりです。正しいかどうかは置いておいて「こういう考え方もあるんだ」って思わせるような文章にしたいと考えています。だから今回は敢えて偉そうに書かせてもらいますね。ってハードルは下げますが批判やクレームや意見などはバンバンどうぞ。下のコメント欄やTwitter(@tnkyodoharu)のDMを使ってください。


で肝心なテーマですが、どうせなら大きくて抽象度の高いものを、と考えてまして

今回は「戦争」
次回が「平和」でいきたいと思います。

トルストイほど立派なことはもちろん書けないですが(笑)読んでいただけると嬉しいです。





じゃあ書きます


まずは戦争映画を切り口にしてみますか


誤解を恐れつつ言えば僕は戦争映画が好きです。特に日本映画。


重い話を扱うゆえに演技派の俳優さんたちが使われるのが良いですね。戦争特有のシリアスなムードは彼ら彼女らによってこそ醸成されます。

あと、ひとくちに戦争映画と言ってもテーマがひとつひとつ違っていて面白いんですよ。

『永遠の0』はパイロットに『風立ちぬ』は設計者(原作はもっと恋愛色強めだそうな…)に焦点を当ててますし

アルキメデスの大戦』は戦艦大和と数学者を絡めるといったユニークっぷりです。


終戦のエンペラー』はGHQ天皇(Emperor)をどう解釈するかに苦悩していて、そこから学ぶことは本当に多かったです。


たまに美化されすぎたりもしますが、右だ左だのイデオロギーに振り回されず、これからも純粋に楽しみたいですね。


ではそれらを観た時の記憶を掘り返しながら考えていきますか。

まず「お前らなんか、一銭五厘だ!」なんて言われる時代をつくったのは問題ですよね。
(※一銭五厘=赤紙の値段)。

「お前の代わりはいくらでもいる!」と突き放しポンポンとクビにする社会は戦争によって加速された気がします。人とお金との互換性が強くなったのは産業革命以上に戦争の影響が強そう。

もっといえば、戦争のために産業革命が起こらざるを得なかったとも言えそうですね。「戦争」という言葉のイメージは飛行機から爆弾を落としたり、島でドンパチやったりするのにとどまらずにもっと広いものだと思うんですよ。クラウゼヴィッツは『戦争論』で戦争を2つの種類に分類しましたが、どちらにしてもアクセルを踏んでいるのは「他国よりも抜きん出たい」という国の性質のはずです。「完全な打倒」はもちろん、例え防衛しかしないと言ってもそれは(成長するのを邪魔されたくないから)防衛するわけですから。
むしろ憎悪とかの感情が引き金となることの方が稀なんじゃないかな。


だから「受験戦争」然り、こういった「戦争」そのものはなくならないと思います。国どころか個人同士のレベルで急かされているわけですから。ボンビーで学力コンプレックスの僕には金持ちが儲けるために投資する意味は分からないし、京大に行けなかったのを悔やむ名古屋大生の気持ちもわかりません。人って満たされないようにできてるんだなって改めて感じる。1周差をつけただけでは満足できず、2周いや3周と差を求めて、1回差を作るとその差を縮められることが気に食わなくなっちゃう。フランスのヴィリリオという思想家はこの国民から国家にいたるまでに働く強制力を看破して「速度(vistisse)」とあてたのですがまさに適切な比喩だと思うんですよ。

この言葉のおかげで自分たちが急かされているということを客観的に見やすくなりました。急かされて、追い立てられて、そして「ここ」ではない遠くへ向かうわけです。ちなみにこの「速度」の傀儡となっている社会構造を「ドロモロジー」とも名づけました。ヴィリリオはこの「速度」という独特な捻りを加えた政治論を唱えているので興味があったら読んでみてくださいね。合わせて『瞬間を生きる哲学』(古東哲明)と『遅いインターネット』(宇野常寛)もぜひどうぞ。この分野はもうすぐ旬になりそうですよ。

つまり、我々そして国家そのものすら競争するように操られているわけです。
まあ大事なんですよこれは。これがなかったらみんなユニクロ着てベッドでYouTube見てれば済むわけですから。ただその競争心を煽った極北でたくさんの死者が出てるのでね、1回ここらで緩めた方が良いんじゃないかなーと。ところが社会のシステムは進化するために複雑にもなってしまっているわけで緩め方も分からないんですよ。もはや錯綜しすぎてどのボタンがブレーキに繋がっているのかもわからない状態です。下手すると大事故が起きますからね。それを上手く調整しているのが官僚なのだから本当に尊敬しますよ。その難しさを想像するに将棋なんかの比ではないと思います。僕にはとても無理なので文句は言えません。

ともあれ、こんな強力な馬力と複雑な仕組みを相携えたエンジンを持ってきたあたりにも戦争の罪がありそうです。



相当暴走した気がします。
とりあえず思っていたことを全部書いてみました。


じゃあ次は「平和」についてですね。近いうちに書きたいと思います。


それでは、またいつか。