ペンよさらば

手書きがコンプレックス

英語嫌いの僕が英語を学ぶ意義

どうもこんにちは。春から国際系の学科で英語も学ぶ(予定の)ナショナリスト。田中です。なんだこのめんどくさい奴…。
今日もネタがないから『シャリ4』でも書こうかなと思ってたらはてブロにはお題なるものがあるのですね。せっかくなので使わせてもらいましょう。

※最初に言っとくと私論がザルの如く漏れまくります。注意ね。

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この記事ではじめましての人もいるかもですね。僕の座右の書である山田詠美の『ぼくは勉強ができない』に登場する時田秀美のセリフでも文字って自己紹介しましょう。

「田中淀春です。最初に言っておくけど、僕は英語ができない。」・・・「おまけに字も下手だ」・・・「それなのに、どうして、ぼく、国際系の学科に入っちゃうの」

就職に有利だからよ、という声が飛んだ。ぼくは、その声の方を指差して言った。

「違う。ぼくが国粋主義者だからだ」


担任の桜井先生に何か言われそうなのでこのくらいにしておきましょう笑。
つまりは来るべきグローバル化との公用語戦争に備えて敵を知ろうとしているのです。
なんてね。スプレー除菌率くらいは冗談なので本気にしないでね。

上の茶番に少し踏みこんで語っとくと英語が喋れても就職に特別有利ではないですよ。
なんでかって?

喋れるのが当たり前だからですよ。

そんなわけあるかっ!と思うかもしれませんが、そういう人は自分の周りがそうなっていないだけです。

時々、留学して英語を身につけるとか言っている人がいますね。
勇気ある行動だと思います素直に。自分で貯めたお金でするならある種の自立であるし、立派であるぐらいです。親のお金なら感謝しましょう。誰でもはできないことです。

ただ「英語を身につける」ために留学するのはなんか違う気がするんですよね。適切な比喩かはわからないですが東京都民がお茶を一杯飲むために静岡に行くようなものなんですよ。要するに贅沢です。
静岡行ってお茶飲んだだけ?お茶なら東京でも飲めるじゃん(笑)って言われそうでしょ。
旅行ならともかく「留学」と言うぐらいだから大事なのは「どんな言語を身につけるか」ではなく「その言語で何を学ぶか」です。
もちろん英語そのものに興味があるんなら文句はないですよ。どうぞ気の済むまで前置詞の歴史でも辿ってください。そういう研究が好きならそうすべきです。突き詰めている人も沢山いますからね。

でもそうでない人にお前何様だっ!と言われるのを覚悟して厳しいことを言うと英語そのものを学ぶのは留学の予習の段階なんですよ。国内で使えるようにしておいて留学先で文化とともに擦り合わせる。ついでに風土から醸成される特有のユーモアやウィット、仏ならエスプリ、素敵なジョークなんかを吸収する。こっちが方がよっぽど価値があります。大学にも通うのなら文学に手を伸ばすのもありですね。日本語を介在させない読書は言語などを超越した「ことば」そのものを感じる新鮮な経験になります。



昔は国際化の風潮の後手に回った公教育とミッション系をはじめとして英語に力を入れた私立中学との差がとんでもなかったんで、英語力が収入に直結するみたいな神話が上の世代に出来上がってるんですよ。
でも今は紋切り型になりますがインターネットが普及して国内でも頑張れば英語の習得できますし、なにより公教育がしっかりしてるので英語に関しては豊かな土壌と上質な種の準備はあるんです。あとはやる気ある生徒が水やりを怠らなければ、英語習得は不可能ではないのです。

批判ばかりが目立ちますが、学校での英語教育の質は素晴らしいですよ。ぼくは転校を経て、少ないながら複数の公立学校を経験しましたがどこも十分な授業だったと思えます。(あくまで僕の話です。これを全員に思わせるのがいつの間にか学校に求められる英語教育のハードルになりつつある気がします。その難しさを知らない人たちのせいで)

留学経験者が「あんなのじゃ英語は身につかない」とか偉そうにちゃちゃを挟んでますが、ちょっと黙ってろって感じです。全員は留学できないから、そのためのカリキュラムと知れ。英語に限らず生徒によって引っかかるやり方が違うのが教育の難しいところなの。


黒船来航から始まった「英語ができる人は天才」というイメージは、福沢諭吉が生きた「英語も努力圏」時代、高度経済成長期の「優秀な社員の条件」などを経て「喋れなきゃ困る」といういわば自動車免許くらいのものに近いうちなるのでは?というのが僕(無学歴の新大学生)の妄想です。

もう既にそうなっている場もあるでしょう。
TOEICは点数のインフレが甚だしく、900点を越えた点数を所持していたところで大企業ではなんのアドバンテージにもなりません。「できた方が良い」のは間違いありませんが、声のトーンや話し方、場合によっては容姿の方が数倍決めてになっているそうです。




さて馬鹿の戯言はこれくらいにして本題に入りましょう。
僕は英語が嫌いです。本当に面倒くさいしつまらないし今にでもやめてやりたい。でも例え就職に関係がなくとも僕は英語を学び続けます。

きっかけは北欧で教育学を学びたいって思ったことですね。このモチベーションは結構続いてセンター英語の得点率を41%から半年間で94%まで伸ばしました。
英語がどうしても嫌いな人はどんなことでもいいから何か自分に合ったニンジンをぶら下げて触れる時間を増やした方が良いと思います。僕の友達では洋楽だったり、映画だったりですね。彼らは他の教科は普通でしたが英語だけは尖っていました。攻められる角度が多い分、英語は他教科よりかは勉強しやすいかもです。僕はもっぱら本でしたね。背伸びして英訳版の新渡戸稲造作『武士道』に挑めたのも読書が好きだったからこそです。前の記事で書いたサガンも英語で挑戦しました。
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あと日本語にはない表現に触れるのは楽しかったです。たまにしかありませんでしたが。
突然ですが「all thumbs」という英語の意味が分かりますか?簡単な単語の組み合わせですね。直訳は「全て 親指」ようするに「不器用」って意味なんです(笑)。初見で読んだ時は一瞬固まったあと意味を理解して思わずクスリと笑いそうになりました。
比喩からきた熟語でしょうけれど日本ではまず使いませんよね。知ったときどこか天井が開いた気がしたのを覚えています。

実際、英語を学ぶことで日本語での表現も拡大されるのかもしれませんね。そう信じて、嫌いな英語を頑張っているところです。日本代表ではオリンピック最年少メダル所持者として有名なスノーボーダー平野歩夢選手のインタビューを聞いてるとつくづく思います。あの年齢での落ち着いた喋り方もすごいですが、言い回しも思わず脱帽してしまうほど上手なんですよ。かっこいいし…。
この喋り方を先天性の才能ととるよりは外国語を身につけた際の副産物ととる方が妥当でしょう。

ああいう言葉がすらすらと出てくるように日本語を使いこなしたいなって欲求が僕の英語学習のガソリンとなっています。







まあそんなところです。ダラダラと書いてしまって申し訳ありません。お題から多少それたにも関わらず最後まで読んでくださりありがとうございました。

それではまた。